誠に勝手ながら
6月6日を
「コックさんの日」
とさせていただきます。

  



 EPISODE-1
 
「捨て子のコックさん」

“北の島”の南部〜けわしい山々や渓谷を分け入った奥地に、その村はあります。今は「コックタウン」と呼ばれるその村は、120年前までは名前もない、100人ほどが住む“秘境の村”でした。けわしい山をいくつも越えた北部のほうには、ゴモラタウンという大きな街があったけど、その村の人たちは、誰も行ったことはありませんでした。だって、山を越え、谷をくだり、川を横切り、森をかきわけ、そんなことをなんべんもなんべんも繰り返さないと行けなかったし、風のウワサでは、ゴモラタウンは、とてもぶっそうな街だと聞いていましたから。“東の島”には、マンモス高原と呼ばれる大草原地帯が広がっているらしいけど、やはり村の人は、誰も行ったことはありませんでした。だって、“秘境の村”の人々は、マンモスなんて見ることもなかったし、風のウワサでは、マンモス高原には人喰いオオカミがウヨウヨしていると聞いていましたから。そんな“秘境の村”でも、100人の村人たちはとても平和に、ケンカもせず仲良く暮らしていました。みんな幸福そうな笑みをたやさず、とても質素な暮らしぶりでした。でも、村人たちはみな、やせた身体をしていました。食べ物があまり豊富ではなかったのです。お肉もなければ、お魚や貝もありません。小麦粉を練ってつくるパンと、森の木の実や山菜、豆類などが主な食べ物でした。ときどき、村の近くを流れる小川で、どこからかまぎれこんだ小エビや小魚がとれるくらい。鶏やアヒルを飼ってはいましたが、卵を生ませて食べるだけで、肉を食べたことはありませんでした。

西のほうには、山ひとつ越えたところに大きな海が広がっており、村人たちは、何度かそこに出かけて行ったこともありました。しかし、海岸線が切り立った高い崖になっていて、海の獲物を捕りに降りることはできませんでした。ですから、村人たちはみな、海で泳いだこともなかったし、海の魚を食べたこともありませんでした。いいえ、過去に何人かの村人がその海で泳いだことがありました。高い崖から、えいっ!と飛んだのです。その村人たちが、ホントにその海で泳いだのかはわかりません。海の魚を食べたのかもわかりません。ただ一つわかっているのは、彼らは、誰一人戻ってはこなかったこと。そんな好奇心旺盛な一部の村人をのぞいて、ほとんどの村人たちは、不平不満なく、慎ましく暮らしていました。お腹がグゥ〜と鳴っても、お水を飲んでまぎらわし、空腹で眠れなくても、身を寄せあい、お互いのお腹に手を当てて、朝がくるのを待つのでした。みんなが不満を口にしなければ、村は平和です。村びとたちは、そのことをよく知っていました。

そんな“秘境の村”が“コックタウン”と呼ばれるようになったのは、今から120年ほど前のことです。たまたまその地をおとずれた旅人たちが、そこで目にしたもの。それが、100人の村人たちに数々の料理をふるまう、風変わりなコックさんの姿でした。旅人たちも食事の席に招かれ、これまで食べたことのない料理をたくさんご馳走になりました。そのあまりのおいしさ、あまりのすばらしい触感に、旅人たちはみな感激し、そこから“伝説のコックの住むコックタウン”のウワサは、ひとり歩きしはじめたのです。“伝説のコック”の物語は、さらにそこからさかのぼること30年前の、6月6日の雨の日からはじまります。その日、この秘境の村には、朝から大粒の雨がザーザーと降っていました。村の大人たちは、この日ばかりは山菜採りや木の実とりをやめ、村の集会所で団らんしていました。この村の人たちはお酒を飲まないので、というよりお酒を作ったことも見たこともなかったので、もっぱらシイの実をつまみながら、カトの葉を乾燥させたカト茶を飲んで談笑するのがつねでした。村の子供たちが5〜6人、決死の形相で集会所に飛び込んできたのは、そのときでした。
「へんな生きものがいるー!」
「へんな生きものが、川向こうの神社にいるー!」
「いた、いた、いたー! 見たこともねえ、へんな生きものだー!」

「おいおい、おちつけや」大人の一人が言いました。「へんな生きものだって? どうせまた、オババでも見たんだろ」オババというのは、この村の語り草になっている風変わりな老婆で、1年に2回ほど、村人による目撃談が語られる存在でした。森の奥で見かけた者はいても、話した者はいません。存在を信じない村人も多く、そんな村人たちの間では、子供たちが悪さをすると、「オババがくるぞ」という脅し文句が、一種の呪文のように使われていました。「オババじゃないもん!」子供の一人が言いました。「葉っぱみたいな口をしてたもん。オババには口がないって、おとうが言ってた。あれは、葉っぱのオバケだよ!」「ちがう、ちがう。葉っぱのオバケなんかじゃない!」別の子供が言いました。「あれは、カエルのオバケだよ。まん丸の目が二つあったもん!」すると一人の大人が「カエルのオバケだって? その生きものは、カエルよりもでっかいのか?」「うん、オラの妹くらいだ」「おまえの妹は、まだ生まれて間もない赤ん坊だろ。ほお〜、赤ん坊くらいのカエルはめずらしいな」すると、別の子供が口をはさんで、「ちがう、ちがう。カエルのオバケなんかじゃない! あれは、アヒルのオバケだよ。葉っぱみたいな口が、アヒルのようにだいだい色だった」「今度はアヒルかい。アヒルなら、赤ん坊くらいあっても不思議はないわな」「でも、手もあったよ! アヒルは手はないよ!」と、また別の子供が言いました。「耳もあった!アンパンみたいな耳が二つ!」「服も着てたよ! 白っぽい服」「ボタンのついた服! グリーン豆みたいなボタンが3つ!」子供たちは口々に言い出しました。「大きな足もついてた! コッペパンみたいな形の足」「帽子かぶってた! マーボドーフ長老の家に飾ってある帽子みたいなの」「でも、アタマはハゲてたよ、ツルツルに!」「きっと、まだ赤ちゃんなんだよ。タオルケットにくるまれて、ぶどうの箱に入ってたし」


子供たちはとても興奮していました。自分たちが見た不思議な生きものの姿を、大人たちに伝えようと必死。でも、大人たちは、本気でとりあってはくれませんでした。だからといって、大人たちは、子供たちが作り話をしているとも思ってはいませんでした。子供たちはたしかに、川向こうの神社で何かを見つけたにちがいないし、それが見たこともないへんな生きものらしいいうことも、大人たちは理解していました。でも、大人たちは、その“へんな生きもの”が「赤ん坊くらいの大きさで、カエルのような、アヒルのような顔をしていて、服を着せられてぶどうの箱の中に入っている」というだけで、それが村に害をおよぼすものではないことを悟り、それ以上は推測することをやめたのです。この小さな秘境の村では、そういった平和な無関心が、村人たち、とくに大人の村人たちにとって、一種の精神安定剤のようにはたらいていました。何百年もの間、この村は、外の世界から隔絶された場所でしたし、かといって、外にどんな世界があるのか断片的に知っていた村人たちは、いつの間にか、閉鎖性というものを習性に持つようになっていました。聞きかじった外の世界への不安から身を守るように、または自分たちが、その世界に小さな興味を抱くことを恐れるかのように、彼らは、おのずから、“外界への無関心”という習性を身にまとうようになったのです。

この村の人たちは、西の海に飛び込む一部の人をのぞいては、誰一人として外界へ飛び出した人はいませんでした。なのに、北のほうにあるゴモラタウンや、南のほうにあるマンモス高原のことを断片的に知っていたのは、ときどき、ごくたまに、1年に一人か二人、この秘境の村にたどりつく旅人がいて、彼らを通じて外界の話を聞いていたからです。ゴモラタウンやマンモス高原のことだけではありません。自分たちの住むところが、じつは“北の島”と呼ばれる大きな島の、南部の山中に位置していること。他にも“東の島”と“南の島”と呼ばれる、同じくらい大きな島が隣接して連なっていること。“東の島”の北部にはマンモス高原、南部には音楽や踊りが大好きな陽気な民族の住む街、イーストイーストがあること。“南の島”には、新しいものが大好きな人々が住む都会があって、南に下れば、人の顔をした妙な魚の住むウーピー湖という大きな湖があって、さらに南に行くと、桃飾りの傘をかぶったお地蔵さんが話しかけてくる峠があるということ。そして、この3つの大きな島が連なった領域が、「エクサピーコ」と呼ばれていることも、村人たちは、先祖代々の語り伝えで知っていました。それらもみな、ここをときたま訪れる旅人たちによってもたらされた情報によるものでした。でも、長い間の習性で、この村の大人たちは、その語り伝えを確認することはしませんでした。このときもそうでした。子供たちが、必死で神社で見つけた“へんな生きもの”の話を訴えても、大人たちがそれを確認することはなかったのです。

大人たちが集会所をあとにして散ったあと、残された子供たちは、明日の朝また、川向こうの神社に““へんな生きもの”を見に行くことを約束し合って、家に帰ることにしました。大人たちとちがって、この村の子供たちの好奇心は旺盛でした。ふだんから、大人たちが暇にまかせて、外の世界の話をするのに聞き耳を立てていましたから。いつか自分たちが大人になったら、この村を出て、“東の島”や“南の島”に旅をするんだって、夢見てましたから。大人になったらなったで、村の習性を身にまとうようになり、なぜかそんな夢は消えてしまうことを、子供たちは知りませんでしたが。6月6日のあの日から、村の子供たちは、川向こうの神社にかわるがわる通うようになりました。子供たちの輪はひろがって、村のすべての子供たちが神社通いをするようになりました。半年が経った頃、子供たちの間で絵描き歌が流行るようになりました。神社の“へんな生きもの”を絵に描きながら歌ったものでした。

「棒が一本あったとさ…葉っぱかな?…葉っぱじゃないよ、カエルだよ…カエルじゃないよ、アヒルだよ…6月6日に雨ザーザー降ってきて…三角定規にヒビいって…アンパンふたつ、マメみっつ…コッペパンふたつくださいな…あっというまに、かわいいコックさん!」“かわいいコックさん”…子供たちは、その“へんな生きもの”をそう名づけました。その“へんな生きもの”がかぶっていた帽子が、コックさんの帽子だったからです。村にはコックさんはいませんでしたし、子供たちも生まれてこのかた、コックさんを見たことはありませんでした。でも、コックさんの帽子のことを知っている人物が、一人だけいたのです。村の長老のマーボドーフがその人でした。子供たちは以前から、長老の家に遊びにいくたびに、家の片隅に飾ってある変わった形の古ぼけた帽子を目にしていました。「マーボドーフ長老、これ、なあに?」と尋ねると、長老は「帽子じゃ」とだけ答えていましたので、子供たちは「へんな帽子。古びてるし」と、そのときは気にも止めませんでした。ところが、“へんな生きもの”がかぶっている帽子が長老の家にあるものとそっくりだったので、子供たちは長老の家に大勢で押しかけていったのです。「マーボドーフ長老! これ見て!」と、子供たちは自分たちの描いた“へんな生きもの”の絵を、長老に見せました。「ね、この帽子、これはあそこにある長老の帽子そっくりだよね」「どれどれ、…う〜ん、どうかのう。そういえば、似とる気もするが…」「ゼッタイそうだよ! ねえ、長老、あの帽子は何の帽子なの?」「あれか? あれはコックさんの帽子じゃ」「コックさん?」「ああ、コックさんじゃ。ものすごく料理のうまい人のことじゃよ。あれはもう50年も前になるかのう…。この村に突然あらわれた旅のお方が、あれをかぶっとった。そのお方は、3日くらいこの村に泊まってな、ワシら村人全員に、それまで食べたことのない料理を作ってくれたんじゃ。そりゃあ、うまかった…。舌が溶けるんじゃないかと思うくらい、うまかった。そのお方が、帰りぎわにワシにあの帽子をくれたんじゃ。うれしくて一度かぶったきり、今ではあんなに古ぼけて茶色になっとるが、もとは真っ白な帽子じゃった…」


「やっぱり! あの生きものがかぶってるのは、真っ白だもの。コックさんの帽子だよ!」「あれは、あの生きものは、コックさんなんだよ!」「コックさんだ! コックさんだ!」子供たちは大はしゃぎでした。「いやあ、じつにうまかった…」マーボドーフ長老はつづけました。「あの、なんともいえないコクのあるスープ。小さな丸い油がキラキラと光っておった。細長いチュルチュルしたものが、柔らかくて…口の中で噛むと、またなんともいえない味がしみでてきてのう。それから野菜もいろいろ入っておった。ここらじゃ採れない野菜じゃ。それから…マンマとか言ったかのう、不思議な歯ごたえの山菜のようなもの。今でもいちばん忘れられないのはな、そのスープ料理の上にのせられた1枚の薄い食材じゃ。たしかチョーシューとか言ったかのう、茶色っぽくて、じつに柔らかくて、口の中でほのかに油の汁がにじみでてきて、なんとも言えぬ極上の味じゃったな…。それは、それは、うまい料理じゃった。後にも先にも、それ一度きりじゃよ、ワシが“ラーメン”というものを食ったのは…。ワシがいちばんビックリしたのはな、ゆで卵じゃ。ワシが飼ってた鶏が生んだ卵を、くれというからあげたんじゃ。そしたら、なんと、それを火にかけた鍋で煮込みはじめた。卵は生で食べるもんだと文句をいう者もおったが、だまって見ることにしたんじゃ。そしたら、ゆであがった卵の皮をきれいに剥くと、なんと、ゆで卵のできあがりじゃ。おまえたちも大好物じゃろ、ゆで卵。この村にゆで卵を教えたのは、じつはそのお方だったんじゃよ。それからまた、そのゆで卵を二つに切って、ラーメンの上に…」

子供たちの姿は、もうありませんでした。子供たちが紙に描いた“へんな生きもの”の絵が一枚、残されていました。「やれやれ…年寄りの話は3分と聞かん。元気な子供たちじゃ」マーボドーフ長老はそう言って、絵の描かれた紙を手にとりました。「ほう〜、よく見ればたしかにコックさんの帽子じゃな。…ありゃ? この顔…カエルのような、アヒルのような…それに、アンパンみたいな耳がふたつ…グリーン豆みたいなボタンが3つ…どこかで見たような…コッペパンみたいな足がふたつ…う〜ん、そういえば、あのお方にそっくりなような…まさかな。50年も前の話だ」マーボドーフ長老は、絵の描かれた紙を、“コックさんの帽子”の横に添えました。「村の者が話してたのはこのことか? 子供たちが騒いどるとか…。まあ、いい…。あ〜あ、それにしても、死ぬ前に、もう一度だけ食ってみたいものじゃ、あのラーメンを…。あの旅のお方の作ったラーメンを…。そういえば、100人のコックのコック長とか言ってたな…たしか、“コックタウン”とかいうところの…」マーボドーフ長老は、いつの間にか、うたた寝をしはじめていました。




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